戸川昌子『黄色い吸血鬼』

エラリィ・クイーンに絶賛された表題作など、12篇の恐怖小説を収めた短篇集。
・「緋の堕胎」違法な堕胎を請けあう医者のもとへ、妊娠七ヶ月の水商売女が来る。早産の処置のあと、病院の二階で休んでいた彼女は、書生が目を離した隙に窓から飛び降りて死んでしまう。書生は彼女の亡骸を庭に埋める。だが医者の行為が新聞に暴かれ、名誉毀損裁判がはじまると、検証の一環として庭も掘り返されることに……。気の毒な書生は度を超した夫婦げんかにつきあわされるばかりでなく、次々疑問が湧く「灰色」の日々をすごすはめとなる。
・「人魚姦図」俳優の卵である美青年が水族館のパトロンに騙され、生きたまま蝋人形にされ、人魚とともに水槽に閉じこめられる。親子の因果にとどまらず、国籍不明のパトロンにいたぶられるという性的倒錯のおまけつき。海野十三「俘囚」と同質の馬鹿ばかしさが良い。
・「変身」犬の調教師の青年が女を殺した罪で捕まる。女流弁護士が彼の異常心理を探るが……。殺害された女が飼い犬のポメラニアンと特別な関係にあったというのはショッキングだけど、青年が毛皮を被って犬に化け、女を犯そうとしたとの奇矯な告白には笑うしかない。
・「ウルフなんか怖くない」場末の見世物小屋にいる狼女。彼女は実は高名な政治家の娘で、若い官僚の妻だった。身体はいつまで経っても子供のように発育不全だが、見目うるわしく教養もある。かたちばかりの結婚ではあったが、夫とは一時的ながら円満な性生活を送っていた。だが彼女は、自分とのセックスに厭きて女遊びに熱をあげる夫を捨て、植木屋の若い衆と駆け落ちする。夫が行方をつきとめたときには、彼女は見世物小屋でぼろを着た蛇娘になりきり、身体に這わせた蛇を裂いてむしゃむしゃと食べてみせた。自分をさらった男とは既に夫婦仲になっていた。一年後。夫がまた連れ戻しにくるが、彼女は狼女となり鶏肉を食いちぎり、客席に放り投げるといった、見世物的な演技にすっかり慣れきっていた……。夫は最後、不具者には不具者の幸福がある、住みよい場所で生きればいいとすんなりあきらめるが、実際は相手から離れてくれて好都合だと考えているのでは、という疑念が晴れない微妙なハナシ。
・「蟻の声」気のふれた女の告白。一人目の娘は野犬に噛み殺され、二人目は蜂の大群に襲われて片目を失明する。彼女に離婚を迫る夫は、アスピリンを飲んで眠っている間に股ぐらに蜜を塗られ、無数の蟻に這い寄られたあげく「黒い塔」と化した局部を切られる。女は、自分が剃刀で切り倒したのではない、自然に倒れたのだと言うが……。これがいちばんおもしろかった。「ただ見ていただけ」とくりかえす女の釈明を一気に崩すラストも的確。
・「砂糖菓子の鸚鵡」八十をすぎた女の家にみしらぬ男がたずねてくる。鸚鵡のゆくえをさがしているのだと言う。女は鸚鵡を溺愛する男を内心狂人あつかいし、隣家の飼い猫に殺されたのでは、などと白をきるが……。他人がペットに注ぐ愛情を決して理解せず、蔑むことで優位に立とうとする女の頑迷さが憐れを誘う。年老いた女が起こす惨劇というと、同じ作者の『大いなる幻影』を思いだすが、この女は鸚鵡を殺しただけなので大した罪にはならないはず。が、真相を知り怒り狂った飼い主に刺し殺されかけ、二階のベランダから線路へと飛び降りることに。ふつうに考えればみじめな死にざまだが、女にとっては解放の一瞬。もはや誰からの憐れみをも拒むような、邪悪に勝ち誇る笑い声には憎めないものがある。

二十年間、ここから何度も飛び降りようとしては、こわくて出来なかった自殺の夢が、遂に果たせるのだ。
私は鸚鵡の羽のように両手を拡げながら、石垣に向って真逆さまに落ちていった。
墜落しながら、あのお屋敷の芝生の中に忍びこんで、鸚鵡の入っている金張りの禽舎の扉をあけたのが、この私だということまでは、あの訪問客も気づかなかっただろうと思うと、本物の鬼婆のように、〈イ、ヒ、ヒ、ヒ〉という笑い声が、思わず喉もとから洩れてしまった。

黄色い吸血鬼 (ふしぎ文学館)

黄色い吸血鬼 (ふしぎ文学館)