『猫と庄造と二人のをんな』(1959)

芦屋で荒物屋をいとなむ森繁久彌は大の猫好き。「リリー」と名づけた飼い猫を、四年連れ添って別れた妻(山田五十鈴)や、再婚した妻(香川京子)よりも愛している。だが山田の申し出により、彼女にリリーを譲ることに。山田は森繁の母親(浪花千栄子)が香川の持参金欲しさに自分を欺き、無理やり離婚させたことを恨んでおり、リリーをだしに森繁家を揉めさせようと考えたのだ。計略はまんまと成功。森繁がリリーの姿を一目みようと山田の居候先へ出向いたのを、香川は山田に会いに行ったのだと誤解し、母親とぐるになり今度は自分を騙したと怒る。森繁はうんざりして再びリリーに会いに行くが、香川も追いかけてきて山田と取っ組みあいになる。女たちの争いに怖れをなした森繁はリリーを抱きしめ、二人でよく遊んだ思い出の浜へ逃げる…。
静かな抒情を秘めたどたばた喜劇。舞台が芦屋や西宮などの阪神間なので、人々はのべつ幕なしに関西弁でまくしたてる。金のためなら平気で家族を裏切り、短絡的に感情をむきだしにし、物や猫を放り投げる。ほんと景気よく猫が飛びます。主人公の森繁は、この猥雑なエネルギーに終始押される。母親べったりで、ろくに働きもしない無能な彼は、猫を頼りに生きるしかない。それが仇となり、家庭さえ壊れてしまう。駄目男の孤独が、人の都合にふりまわされる飼い猫の、「畜生ゆえのかなしみ」と響きあう一篇です。
谷崎潤一郎の原作では、香川が山田の手紙を読み、その下心を推しはかる場面からはじまります。森繁と山田は既に離婚しており、香川は森繁の猫好きに嫌気がさしている。対して映画は、まず山田が森繁家を追いだされ、妹夫婦の家の二階を借りる、入れかわりに香川が森繁と一緒になる…という風に出来事が時系列に沿って紹介される、よりわかりやすい構成になっています。
原作には無い印象的な場面も。森繁と香川が海へ遊びに行き、日焼けしようと砂浜に寝そべる女の子たちの足をさわったり、膝枕をしてじゃれたり。森繁は「びろうどみたい」と香川の足をさすり、猫にするように顎や首筋をくすぐる。香川も喜んで受けいれる。いかにも深い仲かと思いきや、香川は知りあいのダンスの先生をみつけると、森繁をほっぽりだしてダンスホールで踊る。香川=蓮っ葉な不良娘という設定をうまく生かしたくだりです。香川京子は、清純派女優のイメージが強いのですが、本作では水着や短パン姿で太ももをさらし、わがまま放題に暴れる役を好演しています。森繁と言い争いになり、酒をひっかけ唾を飛ばす、姑が土下座しても泣き叫びやまない、なんて身振りは別人かと思うほど、定着した像を壊しています。
もう一人の女、山田五十鈴は自棄を起こし、森繁にしつこくつきまといます。結婚していた四年間、ずっと家に尽くしてきたのに裏切られたことは、同情できるのですが、猫を人質にとり森繁をおびき寄せようとするのは滑稽。嫁として働いた給金を計算する、浜でふいに突堤から飛びおりる、森繁が来たと知ると化粧をなおし勝利の笑みを浮かべるなど、ちょっと怖いところもある。雨のなか帰宅し、下駄の汚れを落として縁側にたてかけるという何気ない演出も、几帳面というより、いやらしいほどの気配りが感じられてぞっとする。この怖さが最も際だつのは、復讐が成功したあと。森繁に、おまえはおれより自分の意地が大事なのだろう、と本音をみぬかれたばかりか、恋愛中なのは猫だけ、人間はみんな嫌いだとまで言われ、いきりたって猫を窓から放りだしてしまう。そして追いかけてきた香川と家の玄関先で衝突。鬼の表情で物を投げつけ、殴り髪をつかみあう壮絶なキャットファイトに。これも原作には無い場面ですが、二人の女の意地をつきつめた結果として、下劣ではあるけれど真に迫る展開です。
そして森繁は居場所をなくす。これは原作の一節からきている。「品子も、リリーも、可哀そうには違いないけれども、誰にもまして可哀そうなのは自分ではないか、自分こそほんとうの宿なしではないかと、そう思われて来るのであった」。映画は思うだけにとどまらず、森繁をとことんまで追いこみ、「ほんとうの宿なし」にしてしまう。絶望的な結末ではあるけれど、金や女の意地とは無縁な、自分をしんから大事にしてくれる猫がいるかぎり、まだ幸せではないかとも楽天的に思います。そこまで入れこめる存在を、誰もが持てるわけではないから。
ちなみにリリーについて。「茶色の全身に鮮明な黒の斑点が行きわたっていて、つやつやと光ってい」る「鼈甲猫」とのことですが、ここでは耳と鼻、尻尾に模様があるだけの白地の猫で、まだ若いらしく瞳が大きい。さすがに魚を口にくわえて森繁と引っ張りあいっこする描写はなし。大人しく抱きすくめられたり、雨に煙る浜で、濡れて毛羽だった背中を丸めた様子が、ちんまりしていてかわいらしい。確かに投げ飛ばしやすそうな(…)儚い感じのやつでした。