『わるいやつら』(1985年)

(原作 松本清張/脚本 大野靖子/監督 山根成之
女たらしの病院長・古谷一行は、名取裕子と結婚するために悪事を重ねるが…。「霧企画」制作による「火曜サスペンス劇場」作品。ナイトクラブで「聖母たちのララバイ」のピアノ演奏が流れる内輪ネタあり。加藤治子演じる藤島チセは洋服店ではなく人形屋経営者に変更されている。物語は古谷のナレーションを挟んで進行するが、「横溝正史シリーズ」を思い出していつ「ぼく、金田一耕助です」と言いだすのやらとはらはらする(嘘)。まあでも実際古谷はいくら罪を犯そうと、温和な渋味のある声と人懐こそうな容貌から善良さがにじみでている。ここでの善良さとは付け入る隙があるということ。そのため最終的に愛人のちあきなおみと加藤、本命の名取と友人で弁護士の原田芳雄に裏切られ、ひとり罪を背負うはめになるのも納得できる。原田のコミカルな演技も、滑稽なほど隙だらけな古谷と釣りあいが取れていて良い。刑事役は小林稔侍と三谷昇。黄緑色のニットキャップを被った半病人みたいな三谷はともかく、小林も古谷の容疑を視聴者向けにまとめるだけの出演。ちあきと加藤は熱しやすく冷めやすい年増女の醜悪さを完璧に引き受けている。加藤の真っ赤な口紅は、同じく清張作品『最後の自画像』で蒸発した夫の帰りを待ち、暗い部屋で念入りに化粧する妻を思わせる。ただこちらの方は耐えることなど知らず、古谷が泊まる宿に押し入っては浮気の証拠を探ろうと枕の匂いを嗅ぎ、警察の取調べで弁当を指しだされても「食べられないわよ不味くて!」と割り箸を投げ捨てたりと、堂々たる凄みがある。ちあきも古谷に自分を抱くよう強要したり、絞殺されかけ地中に埋められても甦るなど妖怪然としている。古谷は彼女らの罠にはまってはじめて、自分が手にかけた泉じゅんだけが本気で恋してくれたと気づくが後の祭り。網走刑務所へ向かう列車のなかで雪を眺めながら嘆く科白「これがぼくの終点の風景」には、悪党になりきれず「損をした」者の虚脱感がこもっている。