アイザック・バシェビス・シンガー『よろこびの日―ワルシャワの少年時代―』

ほとんど知られていないけれども、喜劇も悲劇もともに豊富なある世界のありさまをつぶさに見てもらうのがわたしの念願です。それは知恵とおろかさ、激しさと優しさに満ちた特色ある小世界なのです。

I・B・シンガーはポーランド生まれのユダヤ人。第二次世界大戦が起きる直前、反ユダヤ主義から逃れるため渡米。貴重なイディッシュ語作家として活躍し、1978年ノーベル文学賞を受賞。『ニュー・ゴシック ポーの末裔たち』の感想でもとりあげた彼の短篇「敵」は、人種差別や時代性に限定されない、誰もが巻きこまれうる暴力の理不尽さを描いている。ただ男二人が子供のけんかのように取っ組みあう場面や、語り手のまぬけな発言などにみられる喜劇的要素が悲惨に流れがちな物語をせきとめているのも特色といえる。『よろこびの日』もいずれ来る破滅の日をほのめかしながらも、基本は平和に暮らす人々を感傷的なユーモアをまじえてスケッチすることにある。
『よろこびの日』はワルシャワを舞台とする「自伝風物語」だ。シンガー少年は好奇心旺盛ですぐに両親を質問ぜめにする。世界がつくられるより前に何があったのか。宇宙に果てはあるか。虫は誰から命をさずかり何を食べてどこで眠るのか。そんな厄介な質問をしては「大人になればわかる」とたしなめられ、構わず今度は天国と地獄について思い悩む。父親はユダヤ教のラビであると同時に判事をして生計をたてている。神秘主義に傾倒するあまり母親と衝突することも。母親も合理性を重んじながら子供の無事をまじないに託す点でお似あいな夫婦。少年は彼らに見守られながら戒律に従い時に踏みはずし、ほとんど近隣の同胞とのみつきあい、ヘーデル(ユダヤ人学校)でタルムードやイディッシュ語を学ぶという特殊な環境で成長する。小説中、数々の耳慣れないことばや異質な慣習が出てくるけれど、少年の心情に寄りそうようにして読者もなじんで行く。
各エピソードも在りし日の異質な「小世界」のざわめきを伝えてくれる。たとえば「よろこびの日」。題名に反して少年は門番に追いはらわれたり変な果物を食べたりとさんざんな目に遭う。芥川「トロッコ」のように冒険に熱中しすぎた末、家への遠い道のりを釘が刺さった靴で歩きつづけねばならない。「洗濯ばあさん」は異教徒だが珍しく少年一家のもとで働いている。少年に会うたび「キリストそっくりだね」と失言する。病に倒れても最後の仕事をやり通す婆さんの気高さが感動を誘う。「乳製品屋のレブ・アシェル」はサムソンのような剛力と、聖典の朗唱をまかされるほどの美声の持ち主。生まれついての善人で寄付も出し惜しみしない。だが少年一家が戦争中にワルシャワを去った後の彼の命運はわからない。「したたかな連中」で少年と喧嘩した仲間の行き先ならはっきりしている。物語後半にはその行き先へとすべてが通じるような暗い未来が迫る。戦争を直接描くことはない。母親の田舎に引っ越した少年をとりまく美しい自然、貧困にあえぐ人々やヘブライ語を学ぶ子供たちの一見静かな日常を書きとめること自体が、著者なりの戦いの証となる。ひき離された他者、または死者を過去から呼び戻す。物語に定着させることで不滅の魂をこめる。というと大げさかもしれないが、著者の祈りは底ぬけに真摯なものだと思う。
最後の「ショーシャ」は小説家となった元少年ワルシャワへ帰り、幼なじみのショーシャに会いに行く話だ。彼はショーシャの娘に昔読んだ天使と悪魔の物語を聞かせる。物語は彼が育った場所と同じく変わらない喜びを与える。語りつづけるかぎりは誰かがそれを受けとめて生きるだろうこともこの小説は教えてくれる。

よろこびの日―ワルシャワの少年時代 (岩波少年文庫)

よろこびの日―ワルシャワの少年時代 (岩波少年文庫)