鹿島田真希「万華鏡スケッチ」

『ピカルディーの三度』におさめられた短篇。初出は「en-taxi」2004年第05号。『一人の哀しみは世界の終わりに匹敵する』刊行後、しばらく沈黙していた鹿島田さんがこの小説を発表したときは、内容の素晴らしさと相まって感激しました。同年「新潮」に『白バラ四姉妹殺人事件』が掲載され、権威ある批評家から時機を逸した激賞を受け、現在に至る快進撃がはじまります。「万華鏡スケッチ」はそのはざま、「J文学」と乱暴に一括りにされた新人時代から脱け出し、早くも円熟味を得た〈転換点〉に位置する作品です。

血が繋がっているジュンとハナが、母親の目を盗んで全裸で同じベッドで寝るのは初めてのことではない。二人がそうするのは、決まって母親がいない日曜日の午前だ。

〈禁忌の侵犯〉は、鹿島田さんの小説ではおなじみの主題です。本文中にもはっきり「近親相姦行為」と記されている。しかしジュンはハナに触れながらも「ベーコンとシャンピニオンのキッシュロレーヌのことで頭がいっぱい」で、それらのもの自体と名前の響きがそぐわない、取り替えた方がいいなどと、場違いにも名前についてばかり考えている。ハナも猫や星座の話に熱中し、まじめに愛しあう気は毛頭ない様子。キスするにも唇ではなく唇の皮を接触させるだけ、性器に手を伸ばすこともない。いかにも子供のおふざけといった感じ。
ジュンが気まぐれに名前の響きをものの性質とすりあわせて何かに喩えたり、固定された意味を解きほぐす遊びに耽るのに応じるように、語り手もハナの回想にあわせてとりとめなく、他の登場人物たちの特徴や過去をスケッチして行きます。化粧品売場に口紅を買いに来た婦人、爪の手入れに余念がない販売員、意味なく猛り狂う心を病んだ女、それを憐れむ襟巻きを巻いた老婦人。ジュンとハナを中心に動くのかと思われた物語はいきなり脱線し、学生時代ポール・ヴァレリーとセックスを行き来し二度堕胎した女や、何十年も過酷な冬を耐えてきた女など、複数の人物の他愛ないエピソードが絡むことで読者もジュン同様、「頭の中がとても複雑になって、わけがわからなくなる」ような印象を受けます。
ジュンがラテン語のクラスを受講しており、賢者の格言めいた言葉を暗記していることが語られたかと思えば、今度はラテン語の教師が女生徒にセクハラして逮捕される滑稽な顛末、新しく赴任した女講師の恋愛話へとなめらかに横滑りする。この自在に個別のエピソードを並べる手法は、たとえば「第三の愛」(「群像」2009年9月号)にも活用され進化を遂げています。また、女講師が男たちの暴力にふりまわされ逃げ別れた苦い経験がありながら、思慮深く優しい婚約者に味気なさを感じるという、受苦を欲するような厄介な心理も、鹿島田作品ではしばしば性別や役割を変えて描出されるもの。「万華鏡スケッチ」は、鹿島田作品特有の構造と人物像、〈愛の不可能性〉などの主題を簡潔に凝縮した、それでいて「無秩序」な軽やかさを原動力とする小説なのです。
ハナは突然耳鳴りにさいなまれ、大学病院の神経科に通うことに。そこでかかりつけの臨床医師から、戦勝国である自分たちの国が植民地化した島に関する話を聞きます。島の人たちは方言を喋る自由を失ったけれど、がらくた紛いの首飾りを売り弦楽器を奏で裸踊りをして大らかに生きている。医師が出会った島の娼婦も堂々たるもので、避妊は必要ない、「本土の男との間に子供が産まれても、誰も自分を軽蔑したりしない」と言い放つ。

純血より混血、処女より娼婦、単一民族より多民族。私はそういうものを尊敬する、と彼女は言った。

手もとにないので引用できないけれど、たしか鹿島田さんは『Herstories 彼女たちの物語―21世紀女性作家10人インタビュー』において、自身の小説に対するポストコロニアリズムの影響について言及していたはず。それを鮮明に押しだした意欲的な箇所であり、この多ではなく一にまとめようとする抑圧への反逆の精神は、より抽象化されて結末に受けつがれています。
ジュンは万華鏡を覗き、ビーズが動くことでさまざまに変化する形に「雪の結晶」「ベンツのロゴ」「ダヴィドの星」と名づけます。ベーコンやキノコの名前の響きにこだわったジュンらしく正確に当てはめようとしますがハナは反発し、無造作な点の集まりを図形としてとらえ、名づけの暴力を行使する無作法を許そうとしない。ジュンは星座を例にとり、意味解釈は人間のさがだからどうしようもないと居直ろうとするけれど、再び万華鏡を覗くと視界が一変している。ビーズは均等に散らばり一つ一つがつぶさに見え、しかも何の形象も作らず、〈単なる無数のビーズ〉という意味しか持ちあわせていない。それでもジュンがしつこく「微生物の集まり」に喩えようとする悪癖から免れないのは、微笑ましい愚かしさではあるけど、誰しも解釈による占有から逃れられない困難さとその哀しみも物語っています。抵抗を試みるハナが病気になってしまうのも無理はない。
意味の虜であるジュンは、病に苦しむハナを抱きしめながら、唐突に小説家になろうと決心します。鹿島田作品では、結末における唐突な心変わりは救済の訪れを告げるもの。ジュンは自分の特性を生かし、私小説的現実とは無縁の虚構を書くことで、〈困難さとその哀しみ〉に向きあおうとします。家族や恋愛、歴史に埋もれた島の女たち、あらゆる解釈を省察すること。それは書くことを選んだジュンの使命でもあります。
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