『モーパッサン短編集(一)』

作者の故郷ノルマンディなど田舎を舞台にしたコント集。
詩情豊かな自然や過ぎた愛の哀しみを描きながらもどこか冷めたユーモアをこめる。また田舎者の純朴さを手放しで持ちあげたりせず、性暴力や動物虐待といった獣性も遺憾なく暴きだす。
「田舎娘のはなし」。主人が女中をレイプし、結婚を強要する。だが女中には隠し子が居た……。結末の呆気なさが最も悲惨。訳者あとがきによれば、トルストイがこの小説に苦言を呈したそうだけど、具体的な説明がないためどう批判したのかはわからない。一貫して救いのない女中の境遇を憐れんで、とかだろうか。「悲恋」。老イギリス婦人がフランスの片田舎で孤立し、恋した旅人からも裏切られて井戸に身を投げる。旅人は老婦人が汚らわしい死体となってはじめて神聖視し接吻する。でもこの回想自体、恋愛経験豊富な色男である彼の懺悔なのか、単に座興として披露したロマンスか、真意を測りがたい。「ジュール叔父」。貧乏一家の叔父がアメリカから帰国することに。一家は叔父に財産をわけてもらおうと期待するが、彼は牡蠣むきをなりわいとする浮浪者になっていた……。一家だけでなく娘の恋人も叔父をあてにし、婿になるのを承知するところに辛辣なおかしさがある。「ピエロ」は犬好きには決して勧められない。半分百姓の田舎婦人がピエロという犬を飼ったまでは良いが、8フランの税金を納めるのを嫌がり、岩坑に落として始末しようとする。婦人は穴の底から響くピエロの鳴き声に同情し、餌を投げ与えるが、他人が捨てた犬に横取りされたと知ると、再び出し惜しみしてピエロを見捨てる……。なんというか、貧乏人だからといって美化せず、しみったれた性根を冷淡に見据える作者の態度には共感するが、それを表現するための素材でしかない女中や犬への仕打ちまで〈手放し〉で受けいれるのは厳しい。
あまりむごい話ばかり取りあげるのもあれなので喜劇の感想も。「トワーヌ」。トワーヌ爺さんは飲み食いが大好きな〈でぶ漢〉。女房からいつか米袋みたいに張り裂けるよと罵られながらも肥えるのを止めない。遂にはぶっ倒れて全身不随の寝たきりに。それでも持ち前の陽気さは変わらず、昼間から友人たちと馬鹿話に興じたりと楽隠居生活を満喫。女房はますます不機嫌になり、「鶏の卵を抱いて孵化させろ」などと無茶を言う。爺さんは渋々、寝床で卵をあたためることに……。ここでは田舎者のふてぶてしさや愚かさ、噂と祭り好きな狭苦しい世間の存在が良い方に作用している。人を見れば(娘もいないのに)〈婿どん〉と呼び、病床でも懲りずに友人とドミノを指す爺さんが愛らしい。一方女房も、〈寝たきりの能なし〉に罰を下すつもりか辱めたいのか知れないが、卵を孵すという間抜けた難題を押しつけるのも面白い。もちろん、爺さんが生まれたばかりのひよこに母性愛を覚え、そのくせシチューにして食べようと顔を綻ばせるような冷淡さも忘れてはいないが。

モーパッサン短編集(一) (新潮文庫)

モーパッサン短編集(一) (新潮文庫)