津村記久子『君は永遠にそいつらより若い』

主人公の大学生「ホリガイ」の造形が良い。四年間勉強とバイトに励み、いち早く地元の役所に就職できた優秀さをひけらかしもせず、かえって台無しにする駄目な部分を持ちあわせている。下宿は散らかし放題で、自分のブラジャーの金具を踏んで悲鳴をあげる。バイト先の後輩には人の良さにつけこまれ、泥酔の介抱だけでなく逸物まで見せられそうになる。男友達の彼女がリストカットをしているという深刻な話の最中に、いっそ『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』のサリーのようなツギハギに改造すれば、などと無遠慮な物言いをして酒を浴びせられたりと、失敗もやらかすがそれでもへこたれない。鬱屈をギャグで茶化して吹き飛ばす芯の強さには大いに元気づけられる。
純文系の小説にありがちな、他人の痛みを客観視(覗き見)することには長けた、自堕落な主人公たちと違って行動力もある。自殺した男の子の心残りをぬぐいさるため、自分の立場もかえりみず人助けに走る。テレビで見かけただけで実在するかどうかもわからない行方不明の子供を捜すため進路を決める。雨と寒さに耐え、大切なひとがなくした「武器」を泥の中から掘りだす。「妄想」「四角四面」な正義感と簡単に片づけられない、突発的な衝動のもとに突き進む姿は、社会人としての優秀さやだらしなさとは次元の違う生気をみなぎらせている。多面体でできたホリガイの最も素晴らしい、思わず惚れる「戦う女」としての側面。
ホリガイの大切なひと「イノギさん」との微妙な関係もみどころの一つだ。イノギさんはホリガイの単なる女友達ではない、というか作中でもそう表現するのを巧妙に避けている。下宿で一緒にお喋りしゲームに興じ、鍋をつつく程の仲から「ポチョムキン(処女)」であるホリガイにとってなくてはならないひとへと急転する場面の清冽な美しさは、松浦理英子の諸作品を思い起こさせる。口づけし胸を触る。頭を撫でる。湯で濡れたタオルで相手の裸身を拭く。その間のいじらしい沈黙からまた身を切るような告白、愛の自覚への流れがあまりに自然で、デビュー作とは思えない語りの端正さに驚く。女同士の触れあいをことさら挑発的に描かず、子供たちがじゃれるような愛らしさを纏わせ、それでも既にそなえてしまった「脳のメモリでは処理しきれないほどの情報」や「思考の照明」を振るい落とせず結局は孤独に帰るところまで書ききるのも、予定調和とはいえ揺るぎなく巧い。
いったんは距離をおき、それぞれ居場所を見つけて安住することとなる二人を再び結びつけるのは、過去に起きた男女間の暴力だ。女同士の絆とセットで描かれる非対称的な力の壁。
イノギさんは以前見知らぬ男に強姦されかけ頭を石で打たれたという傷を抱えている。ホリガイにも小学生のとき二人の男の子に乳歯が抜けるほど殴られた経験があるが、イノギさんとちゃんと向かいあおうと決意させるのは、傷を舐めあうとか守ってあげたいというような生ぬるい動機からではなく、ホリガイらしい後先見ない行動力ゆえだと思う。芯がない、煮え切らないと自分を貶す身振りに反してホリガイは、タイミングはずれていても相手への思いやりを全力で示す。過去の恥辱は「情報」「思考」と同じく消えず、ただちに救済されるわけもないけれど、イノギさんのことを「これからもずっと気にする」と口に出して伝えようとするホリガイなら、ささやかではあっても何ごとかをやり遂げるのではないかと希望を持ってしまう。

君は永遠にそいつらより若い (ちくま文庫)

君は永遠にそいつらより若い (ちくま文庫)