『血と暴力の国』

コーマック・マッカーシー『血と暴力の国』
映画は未見。装飾を殺ぎ落とした息の長い文章が心地よいが、難解。簡潔な表現をつみ重ね、物語も単純なのに、肝心の部分はみえないのがもどかしい。語り手は人物の心理にほとんど踏み入らず、過去を暴くことで行動の背景を説明することもない。もう一方の語り手は、愚痴まじりに自分の過去を明かすだけ。そのため、「本物の生きた破壊の預言者」である殺人鬼が、どこから来てどこへ行くのか、謎めいた哲学的な言葉を口にする隠遁者のようでありながら、なぜ大金を欲して罪を重ねるのかはわからない。作者いわく「純粋の悪」。快楽殺人者でもない。自分以外を悪とみなし、これは善意の処刑だなどとうそぶくわけでもない。ただ、自分にだけは他人の命運を決める権利がある、行く道はみえていると信じこんでいるらしい。典型的なパラノイア
でも、人間らしいと思える面もある。コイン投げに生死を賭けること。コインの結果が彼の唯一の信仰。ある女性を殺す前にこのおふざけをやるあたりは、行動は狂気そのものなのに、理不尽さを嫌い、一応筋道を通そうとするようでおかしい。それに、車や自分の身体が血で汚れるのを嫌うところも、凡庸で良い。ショットガンで見当違いの相手を撃ち殺した後、モーテルのバスルームで丹念に身体を洗い、衣服やブーツを拭う様子は、プロフェッショナルらしい潔癖さのあらわれなのだろうけど、人目を気づかう配慮がほほえましい、というとなんだかヤバいが。
物語は彼の金を盗んだ退役軍人の逃亡劇と、彼を追う保安官の独白を軸に展開する。退役軍人は妻と一緒にトレーラーハウスに住んでいる。趣味は砂漠でのハンティング。老人かと思えばまだ三十六歳。大金を手にした後、殺人鬼の追跡から逃れるため妻を逃がし、自分も居場所を転々とする。途中で旅の連れとなる女の子との会話には、ほっとさせられると同時に、破滅の予兆があってもの悲しい。保安官はある諦念を抱いて殺人鬼を追う。悪を滅ぼすことなど誰にもできないという諦念。懸命の捜査にもかかわらず事件は続き、しまいには彼は職務を離れ、家族との日常に救いを求める。そして幼い頃、父親と馬と過ごした日々の思い出を語る。これには唐突な印象を受けるが、父親への愛憎があふれる『すべての美しい馬』や、アメリカ版『子連れ狼』というべき『ザ・ロード』を書いたマッカーシーならではの、ストレートで叙情的な〈父を恋ふる記〉と考えれば納得が行く。夢の中の父親が待つ「真っ暗な寒い場所」に、彼がようやくたどり着こうとしていることを暗示しているのだ、とも。血塗れた犯罪小説をしめくくるにはあまりに出来すぎた、静謐で、清々しく美しい場面だった。

血と暴力の国 (扶桑社ミステリー)

血と暴力の国 (扶桑社ミステリー)