『シャネル 最強ブランドの秘密』&『白い人たち』

山田登世子『シャネル 最強ブランドの秘密』。天才起業家・ココ・シャネルの語録であると同時に、十九世紀の「男性クチュリエによる女のモード」にテロルを敢行し、みごと勝利したその力業と背景を論じる。シャネルは貴族趣味で無個性な金ぴかドレスを嫌悪し、量産がきいて実用的な、なにより「自分自身の着たい服」を流行らせる。同じ信念に基づき、リップスティック、ショルダーバッグ、ツィードのスーツなどを次々と創造。既存のポール・ポワレ流「色彩のゴージャス」を拒絶、「絶対的なシンプリシティ」にこそエレガンスがあると信じ、「黒」をシンボル・カラーに選ぶ。この「黒」の、禁欲の果ての美を広めた逸話は、よしながふみ『大奥』で、ひとりだけ黒の裃を着ていたため、貧乏性の将軍にみそめられた男の話を想起させる。また、(主にアメリカの)大衆の購買欲やストリート感覚を重視し、コピーを容認する態度は、本物の宝石を排して「イミテーション・ジュエリー」を発明したことにまで一貫している。
が、シャネルの一番の功績は、貴族・王族がらみの由緒あるブランドだけが持て囃された時代にあって、田舎出身の孤児だった彼女が、出自そっちのけの「ネーム・バリュー」を勝ちえたことにある。ブランド名にこそ「マジカルな価格=価値の根拠」が宿るという虚構に、シャネルは率先してノり、メディアを利用して自らを神話化、時代の寵児(セレブ)となり、自分の名をつけた商品の値をつりあげることに成功したのだ。「無」から無名の大衆を眩惑する伝説のアイコンにまでのぼりつめたことの証拠として、シャネル79歳の写真は必見。眉毛がフェルトを貼りつけたみたいに黒々と太いし、首の皺は隠せないのはご愛嬌として、異常なほど若い容姿! キレイだけどコワイ! もうね、吸血鬼かと。
シャネルじしんの、痛々しいほど傲慢なのに何故か憎めない、自惚れをきわめた毒舌の数々もすばらしい。「多くのアメリカ人にとって、フランスとはわたしのことなのよ」「ショートカットが流行したのじゃないわ。わたしが流行ったのよ」なんて、強烈なナニサマ発言。でも、ブランド品に何の興味もないひとでもその名を知る、「皆殺しの天使」だからこそ許される。
著者と一緒に、シャネルのひととなりに心酔できれば吉な本。

シャネル 最強ブランドの秘密 (朝日新書)

シャネル 最強ブランドの秘密 (朝日新書)

バーネット『白い人たち』。〈時には乙女のように〉なりたくて読んだ。
秘密の花園』の作者バーネットの「幻の名作」。
語り手の少女は、スコットランドの荒野にぽつんとたつ城に住む「立派な家柄の相続人」。両親は既になく、こころ優しい家庭教師や召使の支えはあるが、口数少なく器量もよくないし、都会になじめず田舎にこもって書物を読みあさるなどして、孤独な「幽霊」のように生活しているため、親戚との仲は冷めたもの。そんな少女の唯一の友達は、あるとき霧が広がる荒野にあらわれた、武装した兵隊たちの連れである「色の白い小さな女の子」。彼女はいつしか姿を消してしまうが、少女は、同じように「白い人たち」を何度も目撃する。悲嘆に暮れる親を慰める子供たち。少女と親しかった召使。他の人々には決して目にみえない、温厚で静かな死者たち。少女は憧れの小説家と結ばれるが、彼もまた、少女にしかみえない美しい「白い人」と化し、いつまでも傍らでほほえんでいるのだった…てなハナシ。
『ねじの回転』のように、病的な独白の罠で読者を疑心暗鬼に陥らせるようなサスペンスはないし、ゴシック小説が孕む普遍的な闇もない。死者たちは善良そのもので、荒野の霧のなかだけでなく、汽車や午後のお茶会など明るい日常に溶けこみ、生きた人間を励まし慈しむ、恐怖とは無縁な存在。少女や恋人の家族は、この世に不思議はない、死者は常に自分たちと近しいものであると知って感激するわけだけど、死者が皆、この小説に登場するような人柄すぐれた連中ばかりであるはずもないし、少女が死の恐怖から永遠に解放されたかにみえるラストは、なんとも多幸症的で、白々しくも優美でゾッとする。とはいえ、単にお綺麗に隔離された世界ではなく、銃弾で顔が潰れたことを暗示的に表現するとか、ヘンに血なまぐさい細部もありますが。
ちなみに「訳者まえがき」の、時間をかけて探しあてた初版本のコピーを「数年間で百回以上は読み返しました」というのも怖い。短いし平易な文章とはいえ、それだけ執着もって繰り返し読むってのは、凡人の所業じゃないよなあ……いや翻訳者なら、というか愛読とは実はそーゆーものなのかもしれんケド。
白い人たち

白い人たち