野間文芸新人賞受賞記念対談「弱さに寄り添う音楽と小説」

「群像」2009年1月号より。
松浦理英子津村記久子の対談にチョー刺激受けたのでメモ。
津村さんの小説『君は永遠にそいつらより若い』『ミュージック・ブレス・ユー!!』は、社会的・肉体的にも弱い存在としての女を描いている。女性の肉体的な弱さは重要な問題。津村さんいわく、世の中にはレイプがあることを知らない女の子もいる。窓を開けっ放しで寝ている友だちに、危険だからやめるよう注意しても、「自分は大丈夫」と言い張るとか。でも男に何もアピールしない女でも、状況次第でどうなるかわからない。そういったことを念頭におきながら、友だちとお茶を飲んだり、バンドのライブに行くなどの日常感覚を描いた。

松浦 レイプもそうですが、たとえば男性と言い争いになって、向こうが「何を!」とすごんできたらやはり怖いじゃないですか。映画などを観ていると、欧米の女性はそういう時でも負けずに自己主張しているようですが、私はこれまでの人生で、すごむ男性に言いたいことが言えなかった経験が何度となくあります。インテリ男性は「男はそんなに簡単に女を殴らない」なんて言うんだけど、殴る男はいるし、殴りそうな気配を見せて脅す男もいます。恋人同士の普通のセックスだって、男性が強引に仕掛けてきたら逆らえなくなる局面って世の中に多々あると思うんです。男性が軽い気持ちで腕を掴んでも、女性の方は精神的・肉体的に自由を奪われるとか。男女の肉体の差がものをいっていることって日常にけっこうあると思うんですよ。女であるということは、とりもなおさず、世界の半分が自分よりも圧倒的に強いということで、実はそれはすごく恐ろしく、絶望的なことなのではないかと思います。女の社会的地位や経済力がいかに上がろうと、男女の肉体的な強さの差は変わりませんし。
津村 『ミュージック・ブレス・ユー!!』では、電車で通学している以上、痴漢されるというのは普通にあることなので、それは書かないとと思って。でも、痴漢から助けてあげた女の子が自分を裏切るようなことだってある。女の子同士でも百パーセント連帯することはできないんでしょうね。
松浦 私はとっくにあきらめています。
津村 悲しいんです。でも主人公のアザミはそういう悲しいことに出遭わなければならない。

肉体武装のススメ?

津村 肉体的に勝てないということが覆い隠されているような気もします。服を買えとか旅行に行けというようなことに、うまく転化されているんじゃないか。
松浦 そうかもしれませんね。もしも世間が、男女の肉体的な力の差ゆえに悲惨な出来事が起こるということをもっと深刻に捉えていたら、すべての女の子に、小学生のときからグレイシー柔術を習わせるというふうにするでしょうね。あれは寝技から関節をきめて相手を脱臼・骨折させて逃げられるから。

音楽の話で盛りあがる。フィオナ・アップル、ブリンク182、ファウンド・グローリー、ヒラリー・ダフグリーン・デイ、2パック。ポップ・パンクのなかの女の子はけっこう強い。お二人とも、男社会からはみ出した男たちには優しい。対して、女の集団にいても女が怖い、仲よくなれないと思うことがある。特に、男社会の側に立つ女。『犬身』のお母さんタイプ。男そのものが好きで、同性のことは、チームを組んだ仲間以外は敵あるいは無価値のものだと考えている、いわゆる「ウーマン・ヘイター」。

松浦 ただ、私は女は怖くないです。いざ肉体的な闘いになっても、むこうがよほど鍛えていない限り殺されることはないだろうと思うから。
津村 女の人相手でも肉体的な闘いを思い浮かべますか。
松浦 はい。女子プロレスの見すぎなのかもしれませんが。まあ、言いたいことをちゃんと言うためにも、相手との肉体的な力の差のあるなしは、私にとっては重要です。
津村 私はちょっと変わった子だったので、友達ができにくいし、できても変な子だといわれて離れられることが多かったので、女の子に対して貧乏性なところがあって全員に好かれたいと思ってしまう。だからこういう意地悪な人たちの群れにもヨイショしてしまうかもしれません。
松浦 私はあまり人に好かれたいとも思わないので、女を嫌いな女は女を嫌いな男と一緒にトイレに閉じ込めてやればいいんじゃないかと思います(笑)。

ここから松浦さんが「ある女性の文学研究者」をdisる。そのひとは「松浦理英子が男性批評家たちから受けがいいのは、レズビアンを描いても最終的に主人公を男性に回帰させているからだ」というようなことを書いたのだった。ナニ、虐められたいのか?

津村 全然違うじゃないですか。
松浦 ええ。だけど、研究者というのは往々にして、自分の学んだ理論だかイデオロギーだかに合わせて小説を読むので、とんでもないことを言い出すんです。ここはその人を論破するための場ではないので、二つだけ言っておきますが、まず私は男性批評家に受けがいいなどということはない。大半から嫌われバカにされていますよ。私を好きなふりをしている男性批評家による松浦理英子論を読むと、その女性研究者の論評と全く同じように、妄想邪推に満ちていて、本当は私を好きではないのがよくわかります。批評家でなくても、六十歳以上の男性の八割は私を嫌いだと、体験的に思っています。ただ、確かに、批評家にということではなく、ごく一部の男性にはとても好かれている自覚はあります。が、その理由を異性愛云々とばかり解釈するところが、もうその研究者の偏向をあらわしていると思う。私も若い頃から、男社会からはみ出した男たちとは仲よくしたいと考えていたのですが、そういう態度が一部の男性たちに支持されているのだという理解のしかただってあり得るわけですから。

問題の論文が掲載されているのは↓。わたしも読んだときは、こりゃ筆者あとで絶対に、剃刀で喉首裂かれるよ、などとわくわくしちまいました。

松浦理英子 (現代女性作家読本)

松浦理英子 (現代女性作家読本)

続きはまた今度。