清水博子「台所組」(「群像」2008年12月号)

ばりばり量産している若手作家と比べると、まあ寡作の清水博子さんの新作。
はじめにぱら読みしたときは「」会話が多くて、これはもしや清水流「らのべ」?とか期待したのだけど、キャラクター小説といえるほど個々の見せ場が多いわけでもないし、誰某のようにウェルメイドを装いながら実は陳腐な幻想描写に逃げることもない。震撼すべき大事件なんぞ起こるわけもなく、要約して主題やら何やらがつかめるほど確かな筋もない。かようなないない尽くしで、期待は期待通りに裏ぎられ、従来の清水流「書く女」の恨み節(二度も新人賞の最終候補に残るが落選、小説家になってからも賞レースで負けつづけるなど)、それに「台所組」と称される六人の痴的なおしゃべりを楽しむことになる。
「台所組」は、セレブというにはケチくさい面もあるけれど、みな歳相応の居場所に落ち着いた、ちょい性悪で気位だけは高い女四人、男二人の集まり。彼らが一九九五年から現在までの十三年間、いかに変わり変わらなかったかを描く。気がねせず飲み食いできる合コンの巣兼いこいの場所、鵠沼松が丘の家は閉じられ、野心も余裕もない小説家志望「ブラックタイツ」、ブライは新人賞をとり仕事場を持ち、おまけに結婚。ストーキング被害にあう挿話はなんだったのかと。他の連中も、身内が死んだりとまあいろいろあるのだけど、放言じみたおしゃべりは不変。これがよかった。よそさまの宴会をのぞきみるのも古来からの一興だと再確認しました。
「台所組」が次々と繰りだすブランド名やら何か、「わけわからん」言葉ばかりなのに不思議と心地良かった。または映画『太陽を盗んだ男』の向こうをはった、というか猿真似の「ゲンヴァクー」による「にゃー革命」宣言、ブライ流為にならない小説家の弁明や愚痴、「比喩のちがい」「俳句と小説のちがい」を講釈する場面も笑えます。結末近く、「ともだち」は無償のつきあいでめんどくさいから嫌、仲間なら有償、ワインが必要なだけまし、などとブライが駄々をこねる。そのあとなぜか文学ギョーカイ話になり、ブライは真面目なちょいサヨを気どる馬鹿な同業者や「女衒編集者」をこっぴどくやっつける。でも、この批判にもちいられる「生半可きわまりない」「反射的な軽蔑にはたして意味があるのかと、考えられないバカ」「『貧乏』なんじゃなくて『貧乏くさい』だけ」「『自己中毒』」といった言葉が、どうにも恨み節とギョーカイ話がお好きなブライにもふさわしい気がするのだけど。如何。「女流作家」が「経済効果のため」脱ぐ脱がないって話は、日々借金の返済にいそしむユウ・ミリさんへの当てこすりでしょうか。皮肉が過ぎて感嘆します。最後は酔っぱらいの歓談らしく、携帯片手にナツメロの歌詞を思いだすゴッコに没頭。その歌がまた、野坂昭如がうたうサントリーゴールドのCMソング「そ、そ、そくらてすかぷらとんか」ってやつ。「台所組」のおふざけはまだまだつづくと予告する、ついでに清水流NOSAKA「萌え」があけすけな一節でもあります。
かような馬鹿さわぎにつきあったことを後悔したあとも、何度も読みかえしては絶妙な皮肉に「淫」したり、「なーんもしちょらん」退屈を羨望したくなる、従来通りに期待に応えてくれる快作です。