ヘンリー・ジェイムズ「モード・イーヴリン」(『嘘つき』より)

「人生の黄昏時を迎えた」無名の孤独な婦人、ラヴィニアがいかにして莫大な遺産を手にいれたか、という話。語り手は友人のエマ夫人。ラヴィニアは二十歳頃、同じく若くて素敵な青年、マーマデュークの求婚を拒みます。理由は明らかにされませんが、若気のいたりか何か。それでもふたりとも、自分とこそ結婚するにふさわしいと確信し、相手の申し出を待ちます。が、マーマデュークがスイスに旅行したおり、風変わりな資産家のデドリック夫妻と知りあい、ともに帰国した後も交際するようになってからどうも言動、行動が怪しい。彼はなぜ、富裕とはいえ世間からみはなされた夫婦に惚れこみ、ラヴィニアへの再度の求婚という使命をとげないのか。理由は、夫妻の亡き娘、モード・イーヴリンへの執着でした。
彼女は十五歳のときに死んだのですが、夫妻はあきらめきれず「霊媒やテーブルたたき、降霊術」にこるなど、「娘の思い出を一種の宗教」にまで高めているという。エマ夫人は不審に思います。この気のふれた夫妻にマーマデュークがいれこむ理由は、一緒に美少女の霊の実在を信じているからか、それとも親密になることでもたさられる恩恵、ようは金めあてなのか。
そんな疑惑をものともせずマーマデュークは、夫妻と上機嫌でつきあい、同居し、美しく成人したモード・イーヴリンについて雄弁に語ります。ついには婚約したといいだし、夫妻は愛娘と婿のため、たくさんの調度品を買い与えてくれた、邸はまるで美術館のようだ、自分も彼女のために「最高の贈り物」をした、などと得意然とし、エマ夫人を唖然とさせます。ラヴィニアとしか結婚しないと誓いながら、死者と結婚するとは――対してラヴィニアは、動揺するそぶりもみせず、彼を皮肉まじりに見守るばかりで、はっきりとは咎めない。
四季のうつろいとともに、奇妙な結婚生活にも破綻がきます。
モード・イーヴリンは結婚後、本当に死んでしまい、夫妻もあとを追うようにして亡くなります。マーマデュークの方は、豪華な調度品などの遺産をすべて相続しながら、自身も「家族」が死んでからは気力体力とも衰え、容態は悪化する一方。彼はラヴィニアに看病されながら日々、邸の維持につとめ、遺産を彼女に譲りわたして死にます。が、ラヴィニアはモード・イーヴリンのものに手をつけたがらず、邸へ行こうとしない。そこでエマ夫人は、邸にある遺品は、すべてマーマデュークのものであるという「見解」を入れ知恵し、ラヴィニアもそれを喜んで納得し、邸へ行きます。彼のものすべてを、自分が所有するために……という話。


情か金か、幽霊は存在するのか否かといった両義性が魅惑的な短篇。
『鳩の翼』など後期三大長編の訳者である青木次生いわく、「モード・イーヴリン」は当時の心霊ブームに対する風刺小説である、と。彼の評に従えば、マーマデュークは憐れな夫妻の娘への愛情につけこみ、大金をまきあげた詐欺師、ラヴィニアとエマ夫人はそれを非難しつつも、ちゃっかりと恩恵にあずかった打算的な女たち、ということになります。夫妻の死後、マーマデュークは死者に「誠を尽く」すどころか、邸から引っ越してラヴィニアと結ばれ、莫大な遺産や調度品をわたすのだから、現実的な側面にのみ注目すれば同意せざるをえません。ラヴィニアとしか結婚しない、との誓いは守られたのだと。
ただ、死者とその両親を饒舌に賛美し、「最高の贈り物」を贈ったと誇らしげにいい、死者の死後もまじめに喪に服すなどの様子から、彼が本気で霊にまつわる話を信じて行動していたのでは、本気でモード・イーヴリンを愛していたのでは、という暗示にかかってみるのも楽しいかと。丹念に細部を描き、曖昧さを尽くして真実を宙吊りにする。これぞジェイムズの本領発揮、というかジェイムズ小説のお手本といった感じ。
ちなみにこの小説が書かれたのは、同じく幽霊が登場するはずの小説「ねじの回転」の二年後とのこと。どちらにせよ怖いのは幽霊より生きた女。無愛想なうけこたえに終始していたラヴィニアが、エマ夫人の「見解」を聞いたとたん顔を「ぱっと明るく」する場面など、女性不信をひき起こしそうな恐怖があります。深く考えない方が身のため、といえるかも。

嘘つき (福武文庫)

嘘つき (福武文庫)