「青春のゲート」(NHK総合/12月27日放送)に柳美里さん出演

「日本で最もスキャンダラスな作家 柳美里」。素晴らしい称号。東京キッドブラザースの足跡を辿りつつ、高校を退学処分になったのち16歳で劇団に入り「生涯のパートナー」東由多加と出会ってからの日々を自分の「原点」、いまも息づく「青春のゲート」であったと振り返る。同時に、中学一年生のときに母親を亡くしたという、演劇部所属の高校二年生(16歳)の南未紀さんにも焦点をあてる。
後半は、キッドの卒業生を中心に長野県上田市で活動するミュージカル劇団「TOKYOBOWZ」の稽古場を訪問。ここにも参加している南未紀さんら役者に、柳さんが演技レッスンをつける貴重な(?)光景も見られる。
幾つかメモ(引用不正確)。
「戯曲を書いたのは東由多加の助言がきっかけだった。一般社会をフツーに生きていくためには、高校を退学処分になったことなどはマイナスになるが、“表現”をするということにおいてはすべてプラスに転じる、と」
「自分が凄くコンプレックスに思っていたマイナスの部分が他人と違う、それを承認されたのが大きい」
「キッド的な世界をやめるときに一度全否定しようと考えた(別のものをつくりたい)」
「役者をしていたとき、いわゆる“快感”みたいなものを感じたことは一度もなかった」
「今また演劇をやるなら“さらに新しいものを”、青春五月党でやっていたことをなぞる気はない、壊したい」
柳さんの演技レッスン。
・一対一で面と向かい、相手の欠点を喋る。
・椅子を背中あわせにする。
・真ん中にもうひとり立たせて三人で貶しあい。残りの劇団員が周りを囲み、今日食べた朝食の話をする。合間に劇の台詞を喋る。
(演出の意図……「現実においては“不意打ち”のように“出来事”が起こる。舞台上であらかじめ準備されているものを崩す」)
・南未紀さんに母親が生きていたころの一番の思い出を喋らせる。その記憶を別の男性が“自分のこと”のように話す。
・死にたいと思ったことを話す。倉根さんという女性の告白……明日東京に遊びに行こうと約束していた友達が今日行こうと言う。明日から春休みなのだからと自分は断ったが、翌朝、学校の教師から友達が亡くなったと告げられ、なぜ誘いを断ったのかと悔やんでいる……を語らせたあと、南未紀さんがそれを語りなおす。
(柳さんのやり方に反発する男性も。「自分のことをなんにも知らないくせに、おまえがなんでそんなことを言えるんだ、と当人は許せないのではないか」。
柳さんの反応。「許せるかどうかはひとそれぞれ。本当に喋りたいことは喋らない。その“抵抗”を大事にして欲しい」)
・倉根さんの“亡くなった友”を南未紀さんが演じる。台詞は全て即興。田んぼのあぜ道を歩く場面。楽しげに声が弾む会話。
・南未紀さんを“亡くなった友”だと思って倉根さんが喋りかける。また役割交代。
・最初のあぜ道の場面に戻る。ふたりは泣くのをやめ、再び明るい顔で会話し始める。
「舞台でお葬式をやりたい」
「お葬式とは“人の人生を悼む 自分の人生も悼む場所”」
ふたりの女性はともに“喪失”を抱えているのでやれると思った」

ここで「不意打ち」のように披露された即興芝居を見ていて、まだ家族が離散せず「喪失」を知らない幸福な時期を冒頭と結末に置いた戯曲『魚の祭』を思い出しました。
当事者ではない他人が代わりにその記憶を話す、というのは記憶の捏造、嘘をつくということでもあって、創作行為の心得を教えているわけですね。自分はもちろん他人の痛みをえぐる、ときには踏みにじってでも「表現」する、そのあくどいまでのしたたかさをもって書き続けることこそ柳さんが柳さんたるゆえんなのだ、といまさらのように痛感した次第。とはいえ、他の誰かが相手の痛みやら尊厳なぞを踏みにじるような性根腐った真似をしていたら、断罪するに越したことはない。偏愛する柳さんだからこそ、許容せざるを得ないのだ……って、やはり身勝手な話。
16歳の高校生が柳さんに会う前日、柳さんの本を読もうとして「わずか14ページで脱落した」と言っていたのも印象に残りました。できるならその理由も知りたかったけれど。