シークリット・ヌーネス『ミッツ ヴァージニア・ウルフのマーモセット』

いまや、ピンカの毛に秘められた魅力は蚤だけではなくなった。読者の皆さんは覚えているだろう。ミッツは寒がりだった。彼女はほどなく家中で一番暖かいところを見つけた。普段より寒く湿気の多い夜は――イギリスの夏には、寒くて湿気の多い夜がよくある――、ウルフ夫妻は暖炉に火を焚いた。ヴァージニアは椅子に座り、読書したり、日記を書いたりした。レナードは椅子に座り、やはり書き物や読書をした。そしてピンカは炉の前の敷物に寝そべって眠り、ミッツはピンカに体をすり寄せて丸くなった。時には二匹の動物は、椅子やピンカの篭のなかで、抱き合って鞠のように丸まっていた。

『神の息に吹かれる羽根』の著者シークリット・ヌーネスはヴァージニア・ウルフの「熱烈な愛読者」だという。憧れの小説家のように書きたい、その文章を隅々まで「食べている」ように模倣したいと大人げない願望を持つのは、物書きである限り自然ななりゆきだろう。ヌーネスの場合それに飽きたらず日記や書簡をもとに、マーモセットという小さな猿「ミッツ」の視線を借りて、ウルフ自身と家族の肖像を描くことを選んだ。偽伝記、つまりはフィクションの登場人物として蘇生したウルフは大好きな散歩をし、街の人々を観察して物語を編み、作品の評価に対して一喜一憂する。友人の家の庭や趣味をこきおろし、戦争で息子をなくした姉を憐れみ、ナチの暴虐におののきながらも夫レナードとミッツや愛犬たちと静穏な日々を過ごす。レナードもまた物書きであり、ウルフとは愛情だけでなく、書くことへの止みがたい欲望を絆として結ばれている。それこそがこの夫婦にとっての至福といえる。危機的状況、病や老いがウルフの創作意欲を殺ぐことはありえない。日記でもなんでもとにかく書きまくり、現実を潔癖な性分と一流の誇張癖で捉えなおす。ありがちなフレーズだが「書くことは生きること」を実践し続ける激しい姿勢には脱帽させられる。著者はウルフの身振りを単純に賛美せず優しく突き放すことで、全篇に渡ってユーモアを獲得する。また執筆するウルフに対するミッツの視線を導入することで、これがただの伝記ではなく著者の想像力に補完されたフィクションだと読者は思い出す。そして観察する人ウルフがミッツによって一個の印象に収まるという魅惑的な仕掛けに感嘆する。

ミッツ―ヴァージニア・ウルフのマーモセット (フィクションの楽しみ)

ミッツ―ヴァージニア・ウルフのマーモセット (フィクションの楽しみ)