ちょっとしたあれこれ・ゆび編み

・『忍者武芸帳』(日本映画専門ch)。「人々が平等に幸せに生きていけるよう戦わねばならん」とか宣言して終わるんだけど、戸浦六宏が言うと、威圧的でも凄く澄んだ声が高みから降りてくるって感じで、このひととはとても平等つうか対等な存在にはなれんワ……とひれ伏したくなる心地に。女忍者を演じる小山明子松本典子の喘ぎ声にどきどき。
・『特捜最前線』(ファミリー劇場)478、479話。『悪魔のような女』かと思えばチェーンソー登場。あと、このドラマの怪奇スリラー物って毎回、暗い部屋に女のマネキンがごろごろしてるという安いコケオドシがあるような。某所で「ガードマンクオリティ」と揶揄されていたけど、それって褒め言葉。でもサイコな趙方豪に反省の契機を与えるあたりが『特捜』らしい。
鹿島茂『甦る昭和脇役名画館』読了。評判を読んで避けていたけど、そろそろいいかなと。脇役といっても佐々木孝丸以外は、通もしくは半可通なら誰もが知っている有名俳優ばかりだし、個人の魅力を語るよりも映画のあらすじや生い立ちの説明が多いのが不満。ジェリー藤尾に関しては、「肉体の暴力性」「ウソっぽさ」云々に逸れるのじゃなしに、あの独特のオーバーアクトをいかに真正面から肯定するか、という離れ業がみたかったんだが無理か。疑問なのは『兵隊やくざ』評。

ここで挿入句的に個人的な感想を述べさせていただくなら、私はこうした田村高廣の態度が大嫌いである。自分では暴力は嫌いだと言いながら、勝新の暴力は黙認するというのはどういうことなのか。これぞ、利用主義というものではないか。良心派のインテリ田村高廣は、実行不可能な奇麗事を並べているだけで、自分では軍隊に一切反逆などせず、汚れ仕事は全部勝新に代行させている。これぞ、戦後の左翼インテリの典型である。増村保造がいかに田村高廣を批判的に描いているとはいえ、そのセリフを聞くたびに虫酸が走るのは困ったものだ。

うーむ、わたしも何年も前に見たかぎりで細部はうろ覚えだけど、同じ映画を見たとは思えない感想……増村が田村を批判的に描いたってほんと? 『兵隊やくざ』は、田村が乱暴者の勝新に惹かれていくことで単なるインテリを脱却し、自身の人間性を解放し成長し、ともに腐った軍部に歯向かって行く物語だと受けとめていたんだが。会社人間の男が女との恋愛を通して、または同僚の堕落をまのあたりにして変貌する、個の重要性にめざめる、というのは増村映画では見慣れた光景。それに田村が一切反逆しない、保身しか考えていないみたいに書いているけど、勝新に代わって暴虐にさらされる場面もあるしねえ……戦後の左翼がどーたらは、現在の保守な方々の体たらくを考えると、私怨によるたわ言としか。フォローする気もないが。
全体としては物足りないが、佐々木孝丸の文学者としての偉業を知りたい方は、損はないかと。